連日、アスリートたちの活躍が報じられる東京五輪。
その躍動する姿に声援を送りたくなるのはもちろんだが、開会式の構成や演出に、違和感を感じた人も少なくないのではないだろうか。
著名人がいろいろ感想を発信しているので、素人がいまさら言う必要もないのだが、一番感じたのは「あれだけお金と時間をかけて、これ?」という思いである。
コロナ禍を踏まえて「つつましい」「控えめ」な開会式だったという報道もあったが、関西弁で表現すると「しょぼい」というのが実感だ。
先の1964年の東京五輪は経済成長まっただ中で、当時の日本人には高揚感があったのかもしれないが、経済停滞とコロナ禍の中で感じるのは日本の「落日」感である。
昨年12月の大会組織委員会の説明によれば、開催経費は総額1兆6440億円。昨今、もっと膨らんでいるとの報道もあり、いったい当初予算からいくら増えるのか想像もつかないが、いずれにせよ赤字は国と東京都で埋めることになっているという。
おそらく中抜きやらなんやらで、膨大な使途不明金があるのではないか。
本来、国が一丸となってやるべきなのに、司令塔が一本ではなく事業をバラバラに発注し、上流から下流に至るまで利益にたかる芋づる式のような構造があるのではないだろうか。
でないと、あの統一感のないしょぼい開会式やお粗末な選手村の説明がつかない。
コロナもシステムばらばら、統一感なし
思えば、新型コロナウイルス感染症のシステムも、各省庁がばらばらに発注するからシステムが統一されていないようだ。
ワクチン接種円滑化システムのV-SYS(ブイシス)、ワクチン接種記録システムのVRS(ブイアールエス)、新型コロナウイルス感染者等情報把握・管理支援システムのHER-SYS(ハーシス)、そして不具合を連発した接触確認アプリCOCOA(ココア)―等々。
おそらく医療者でも、こんなの区別がつかないのではないか。
本来ならシステムは統一されていなければいけないのに、連携できていないから、情報共有もできないというお粗末さ。
ただ、統一されてなくても、各予算の利益誘導の仕組みはしっかり機能しているのかもしれない。五輪予算のように。
恥をさらしたリーダーたち
メダルラッシュの熱狂が冷めた五輪後に遺るのは、膨大な負債と、誰も責任を取らないいつもの日本の統治システムということになるのかもしれない。
それじゃあ、国民はもとより天皇陛下があまりにかわいそうだ。
開会式の天皇陛下の開会宣言冒頭、隣で座ったままの小池都知事と菅首相。
慌てて立った大馬鹿野郎の恥ずべきふるまいとまぬけな顔が、世界中に知れ渡った。
この日本の恥を五輪で雪ぐ機会は、おそらく、もうないだろう。