まほろば紀行~つれづれなるままにレトロに生きる

日々の雑感や昭和レトロ、素人の投資ことはじめを語ります

人を救うのは―『アキラとあきら』を観て

銀行が舞台というのに興味を惹かれ、映画『アキラとあきら』を観た。

この混迷の時代に銀行はどこへ行くのか、気になったからかもしれない。

「銀行は社会の縮図」

映画のセリフを借りれば「銀行は社会の縮図」。銀行なくして経済も社会も成り立たない。

メガバンクの「産業中央銀行」に同期入社したアキラ(瑛)とあきら(彬)。東大卒で新人研修でも傑出した能力を見せつけた2人だが、その後、自分の信念を貫き最後まで融資先を支えようとするアキラは左遷され、地方の支店に飛ばされる。一方のあきらは大きな融資を成功させ、順調にキャリアを積んでいく。

父親の経営する町工場が倒産し辛い幼少期を過ごしたアキラと、大手企業の東海郵船グループの御曹司として生まれたあきら。

そんな対象的な境遇の2人は、すでに子どものときに一度出会っていた。

やがて、左遷にめげることなく「人を救う」バンカーを志すアキラは、次々と融資の稟議を通して本店に返り咲く。一方、順風満帆かと思われたあきらは、父の死後、身内の権力争いに巻き込まれ、銀行を辞め、社長となって亡き父の東海郵船グループを立て直そうとする。

身勝手な叔父たちの関連企業の経営不振が招いた企業破綻の危機。あきらの苦境に、アキラがトップバンカーへのキャリアステップの道をなげうち、2人で破綻回避の道を探る。

そう、宿命にあらがって生きる2人の出会いは、運命だったのだ。

ラストの奇跡の大逆転は映画を見ていただくとして、メッセージとして伝わったのは「人を救うのは結局、人なのだ」ということ。

「宿命」「運命」「人生の舵」…。いろんなキーワードがこの映画には込められているが、「乗り越えられない宿命はない」というアキラの言葉は、誰もがそうありたい、そう信じたいと思っていることだろう。

実際は、なかなか努力だけでは道は開けず、人に裏切られることもある、けれど…。

「いい稟議だった」

主演以外で、個人的に印象に残ったのは、江口洋介演じるアキラの上司、不動。「確実性」のない企業には一切融資をしない主義。登場早々、机にすわってトーン、トーンとハンコを押すしぐさで、いやな上司が出てきたなと思ったのだが、最後はアキラの起死回生の稟議書にハンコを押す。

頭取に呼ばれたアキラは、そこで初めて不動が承認し、稟議書を役員会にまわしていたことを知る。

もちろんそれは「確実性」があったと不動が判断したこともあるだろうが、アキラの信念、情熱があったればこそハンコを押したのだろう。

「いい稟議だった」

そうアキラに声を掛けて、立ち去る不動もかっこいい。

舞台となった「産業中央銀行」が、いまどき信じられないくらい職場に一体感があるのも意外。エリートを見る周りの目もなんとなく温かい。不動のセリフにもあったが、行員一人ひとりの努力で銀行が成り立っているという思いが、それとなく伝わる職場の雰囲気なのだ。

そう、これはまさに昭和の青春ドラマにも通じる。たぶん、これは原作の池井戸潤氏が昭和世代だからでもあるのではないか(勝手な推測です)。

ちなみに、アキラは父の開発した小さなベアリングを肌身離さず身につけている。くじけそうになるとき、いつもそれを取り出し、これではいけないと奮い立つ。

2人の最初の出会いも、ラストのシーンも、このベアリングが象徴的に使われている。

久々に熱く血を通わせたい人にオススメの映画だ。

――・――

ここからはまったくの余談だが、防衛関連、しかも低位株で手を出しやすいということもあって、極小口投資家の私はベアリング大手のNTNの株をちょっと買ってみた。

同社のホームページを見ると、「ベアリング技術をコアに『なめらかな社会』の実現へ」なんてことが謳われている。

映画に使われたベアリングにも、何らかの暗喩が込められているのだろう。

同社では従業員が先生となって、NTNの主力商品であるベアリングなどについて授業を行うイベントもやっているという。

なかなか味なことをする。

映画ともども、もしかしたら同社の株もヒットする―かもしれない。

これは映画やNTNとはまったく関係ございません