自動飛行のドローンが空を飛び交う。
そして、クルマの自動運転も夢でなくなりそうな近未来。
ある意味、かつてのSFに描かれたような世界の到来だ。
ただ、なんとなく恐ろしく感じるのはなぜだ。
今年4月の北海道の知床遊覧船沈没事故もあっという間に忘れられそうだが、「人命軽視」「安全軽視」は当該企業や所管行政庁だけの問題ではないはず。
陸では、高齢者が運転する車が歩行者につっこむ事故が後を絶たない。あおり運転も目に余る。
結局、人そのものが信用できなくなっている。
こうした中、航空法の改正で、操縦者らの目が届かなくても、人がいる場所でドローンを飛ばせるようになったという。
便利には違いないが、はたして安全性は担保できるのか。
信用できない人より、コンピューターによる自動飛行の方が安全かもしれない。だが、事故が起こったとき、結局、責任を取るのは人だ(実際はほとんど責任逃れするけど)。
高齢者ばかりの社会になって、災害時も含め僻地などの配送にはいいかもしれないが、住宅地の上を飛んで都市部までクローンで宅配?
便利さを追求して結局、人間ますます退化しないか。
気づけば、戦争もドローン抜きには考えられなくなっている。というか、機械なんてそもそも兵器開発先行で、民間の平和利用は後付けだったか。
『「無人戦」の世紀:軍用ドローンの黎明期から現在、AIと未来戦略まで』(原書房)の最初のくだりには、こんな一節がある。
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ドローン戦争は単なる機械の話にとどまらない。それが引き起こすのは、1990年以降世界の超大国として君臨したアメリカと、中国、インドといった勢いのある国々とのパワーバランスの変化の問題だ。ドローンの発展はアメリカが世界で展開してきた対テロ戦争と密接に関係していた。現在では紛争の火元は米中、米イランの対立へと移り、それに伴いドローン戦争も変わっている。世界じゅうで、今やドローンが真価を発揮しつつある。
「顔のない悪魔のマシン」が上空から死をもたらす世界。
そんなことにならないか。
人もコンピューターも盲信すれば裏切られる。
やっぱり、「陸も、海も、空も、こわい」