ネットには情報が氾濫しているのに、大事なことが伝わらない。
国債を当てにした防衛費の増額や原発政策の転換を見ると、そう思う。
東日本が壊滅するかもしれないというほどの危機に見舞われた3.11を、もう忘れたのだろうか。
伝えなくてもいい情報ばかりがあふれ、伝えないといけないことが伝わらない。
結局、自分で考えてないから伝わらないのかもしれない。
いまさらながら『資本主義の終焉と歴史の危機』(水野和夫著)を読んでみたが、書かれた頃には1000兆円程度だった国の借金は、今では1200兆円超まで膨れあがり、基礎的財政収支(プライマリーバランス)も赤字のまま。
養老孟司さんの著書の言葉を借りれば、平成は「煮詰まった時代」。
実態経済も煮詰まって、すでに需要の飽和点に達しているので、もう持続的成長はありえない。
「脱成長という成長」を本気で考えなければならない時期を迎えているという水野氏の指摘はその通りだと思うのだが…。
令和も来年は5年目。「煮詰まった」後は、どうなるのだろうか。
「令和」という元号が決まった時、当時の安倍晋三首相(今年7月逝去)は記者会見で「一人一人の日本人が明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる、そうした日本でありたいとの願い」を込めたと説明していた。
しかし実際は、そう話していた安倍氏はテロに斃れ、活発に言論活動を展開していた社会学者の宮台真司さんもテロに遭うような「クソ」な世の中だ。
0か1かのデジタル化が進み、なんでも簡単に伝わりそうなのに、大事なことが伝わらない「断絶の時代」に入っているような気がしてならない。