臆病者の幸福論
女子高に通っていた娘の卒業式に出席した。
コロナ禍の中、保護者の出席は1人限定。校歌斉唱もなく、流れてくる国歌や校歌をみんな黙って静聴する中、粛々と行われた。それでも名前を呼ばれ、「はい」と大きな声で返事をする娘を見て、ちょっとうるっときた。誠に娘に甘い馬鹿父なのである。
巣立っていく女子高生たちを見てあらためて思うのは、未来である。
娘も含めみんな幸福になってほしいと思うが、『幸福の「資本」論』(橘玲著・ダイヤモンド社)が指摘しているように「ひとは幸福になるために生きているけれど、幸福になるようにデザインされているわけではない」のである。
同書は「金融資産」「人的資本」「社会資本」という3つの資本=資産から、「幸福に生きるための土台」の設計を提案している本だが、そういうことは学校では誰も教えてくれない。
多くが社会に出てから、それも失敗したり年をとってから気づくのである。「人生100年時代。未来へ踏み出す、あなたのとなりに」とかいって、老後の備えや資産運用の必要性を説く保険会社や金融機関のCMがあるが、それらはただカモを探しているだけ。結局、自分で自覚して学んでいくしかない。
タイトルに惹かれて同じ著者の『臆病者のための株入門』(文春新書)も読んでみた。2006年刊の本なのですでに古い部分もあるが、ライブドア事件の経緯なども振り返られていて、初心者には勉強になった。
ほんの十数年前の証券市場に巨大な歪みがあって、それを利用すれば労せずして莫大な富を手に入れることができたなんて。
企業合併を利用して投資事業組合に自社株を預け、株式分割の発表で株価が値上がりしたら高値で売り抜けて、その儲けを自分の会社に環流させていた。それがホリエモンの錬金術だったのだという。
そういうことをあらためて確認すると、コロナ禍で昨今投資ブームが来ているが、株は本当はこわい世界で、その深い闇を覗いた人は真のギャンブラーということになるのだろうか。
とはいえ、「絶対儲かる方法」などないのだから、投機でなく投資をする凡人の行き着くところは、バフェット流の「個別株長期投資」と、経済学的にもっとも正しい投資法である「インデックスファンド」という結論になるのだろう。
つまり、投資系YouTuberやFIREを目指している人の多くが実践していることは、誠にもっともなことで、それが投資の王道。まわりまわって、そのことを再確認した。
ただ、40代、50代と生きていくと、自分のまわりにいるだれかがぽつり、ぽつりと死んでいく。人の命は有限で、設計通りに人生は進まないかもしれない。
だからこそ、幸せは、なにかを成し遂げたときだけ感じるものではなく、現在進行形で目指している今、感じるべきものではないか。
『幸福の「資本」論』のエピローグもこう終わっている。
≪幸福な人生を目指して頑張っているときが、もっとも「幸福」なのかもしれません。≫
ひとは人生のはかなさといつも同居している。
臆病者はそう思うのである。