まほろば紀行~つれづれなるままにレトロに生きる

日々の雑感や昭和レトロ、素人の投資ことはじめを語ります

インフレの思い出

ある年代以上には強烈に印象に残っている1970年代前半の「狂乱物価」。

オイルショックをきっかけに物資不足が噂され、トイレットペーパーや洗剤の買い占め騒動が起こるほど、市民がパニックになったインフレ時代である。

1973年(昭和48年)当時は、日本列島改造論田中角栄内閣。2桁インフレが続き、翌年には第二次世界大戦後初のマイナス成長になった。

子供の頃の話なので、よく覚えてはいないのだが、高度経済成長のおわりが明確になり、「省エネ」というエコな政策言葉が出てきた時代である。

当時の社会の雰囲気を味わいたければ、テレビドラマ『雑居時代』(主演:石立鉄男など)なんかを見ればよく分かる。

いまならアマゾンのプライムビデオで無料で全話観られるが、セリフの中に物価高騰の話(「どんどん値上がりしちゃって」等々)が頻発する。大原麗子の美しさに出会えるドラマでもあるので、観たことのない人もぜひ観てほしいところだ。

ところで、何十年ぶりに「インフレ」がやってきた現在。当時ほどではないが物価高騰がしばらく続きそうなのに、賃金が上がる気配もなく、サラリーマンの実質収入ダウンは必至である(ここ数年ずっとそうだが)。

しかも円安で、普通の日本人はどんどん貧乏人になっている。

ちなみに、1973年は『ノストラダムスの大予言』や小松左京の小説『日本沈没』など、終末論的な本がもてはやされた年でもある。

超悲観的な私は、いずれ日本もかつてのドイツのようにハイパーインフレにならないか不安である。

雑居時代』の主題歌「そよ風のように」生きたいのに―。

そよ風のように 生きていきたいの

触れ合う人に 幸せ運びたいの

幸せ運びたいの

狙った日本株積み立てで爆騰待ち!

 

 

カードがこわい

不正利用されたのでクレジットカードを作り直した。

昨今、「今なら○○○○ポイント、プレゼント」などの謳い文句に乗り、カードを新規発行する人も多いと思うが、そもそもクレジットカードの安全性は大丈夫なのか。気になったので、少し調べてみた。

日本クレジット協会によると、2021年のクレジットカード不正利用の被害額は約330億円で過去最多。今年はすでにそれを上回りそうなペースで被害が拡大しているという。

日本クレジット協会ホームページより

被害のほとんどは、不正に入手したカード番号が使われる「番号の盗用」による被害。原因の1つにメールなどを送りつけて、偽のウェブサイトなどに誘導し、カード番号やパスワードなどを盗み取る「フィッシング詐欺」の増加がある。

個人的にはそういうのには注意しているので、私の場合はフィッシング詐欺ではないはずだが、どこで番号が漏れたのかわからないままだ。

フィッシングやクレジットカードの不正利用に対する規制を管轄している経済産業省は今年8月、「クレジットカード決済システムのセキュリティ対策強化検討会」の初会合を開いた。今後、クレジットカード情報保護対策・漏えい防止やクレジットカード番号等の適切管理の強化などについて議論していくという。

経済産業省の検討会資料より抜粋

9月1日にはセーファーインターネット協会が開催した「フィッシング、クレジットカード不正の現状と対策を考える会」も開かれ、関係省庁や事業者を交え、新たな不正防止のしくみや情報共有の必要性などを話し合ったようだ。

ただ、被害が拡大する中で動いた感もあり、対策が後手に回っている印象は否めない。

クレジットカード規制に対する法律には「割賦販売法」があり、カード番号を取り扱う事業者に対し、漏洩対策を義務付け、不正取得を禁止している。従来、対象となる事業者はカード会社と加盟店だったが、2020年の改正で、規制対象を決済代行やQRコード事業者、ECモール事業者、ECシステム提供者にも広げた。

今後さらに漏洩防止対策や脆弱性対策の強化が求められるが、使う側も日頃から使用歴をチェックするなど注意が必要だ。

ちなみに今回、私は問い合わせ先もわからないところから100円請求されていた。

カード会社に連絡を入れて数日後に届いたメールには、こう書かれていた。

お問い合わせいただきましたご利用覚えがないとのお申し出につきまして、お客様ご本人の利用ではないものと判断いたしました。
つきましては、ご請求のお取消もしくは引き落とし口座へ返金(残高充当)の手続きをいたします。
このたびは、ご心配をおかけいたしまして、誠に申し訳ございません。

というわけで、ほっとしたのだが、これをスルーしていたら、そのうちもっと高額な請求が来たかもしれない。

私も昨今の「お得」ブームに乗せられ、結構多くのクレジットカードを保有しているので、あらためてキャッシュレスの怖さを実感した次第だ。

いずれ、どこかでカードも断舎離したい。

「便利だけど、こわい、キャッシュレス社会」

この気持を忘れないでおこうと思う。

 

武力より知力勝負の摂関政治―『平安貴族サバイバル』

鎌倉時代もよくわからないが、平安時代はもっとわからない。

律令制があっという間に壊れて荘園が拡大。一部を除き兵役をやめて「健児」で代用し、国は直轄の警察権、軍事権を放棄する。

荘園は、租税等を免除してもらう「不輸不入の権」を得るため、どんどん上の階級に寄進される。その権利は重層的で複雑になり、その頂点である上流貴族や皇族、有力寺社が多くの荘園を所有することになる。

荘園を直接管理する農民は自ら武装し、やがて武士化する。

宮廷では、摂関家が娘を入内させ、ひたすら男子誕生を切望する。生まれた男子が次の天皇になると、天皇の外祖父として摂政・関白になって権力を握る。

それが摂関政治。結局は他氏を排斥した藤原氏の天下なのだが、その藤原氏も同母腹の兄弟間で権力争いを繰り広げる。

勝った方は栄華を極めるが、負けた方は藤原氏といえどあわれだ。

素人が知っている教科書的な知識では、ざっくりそういうふうに要約できる。でも、現代人には、なんか夢物語のようでリアル感がない。

ただ、『平安貴族サバイバル』(木村朗子著)を読んで、あらためてこの国風文化が生まれた時代がなんとなくいとしく思えてきた。

「権力奪取の方法として、摂関家は、娘たちが次代の天皇となるべき男子を出産してくれることに賭けた。天皇の寵愛を受け、妊娠し、かつまた男子を産むというのは、確率を競うようなもので、まさに賭博だ」

たしかにそうだ。この闘争に勝つため、入内した女性のまわりに「教養と才気あふれる女房たち」を配した。その代表が清少納言であり、紫式部であった。

知力を活かし当意即妙な応答が求められる宮廷サロンはある意味、大喜利の場でもあったような気もしてくる。

もちろんそれはハイセンスで、みやびな、雲上人のまわりだけの世界。

「権力闘争という生々しい現場で、子を産むという幸いを引き出すために女たちの知力をあてにするというのは、ずいぶんと面白い時代ではないか」と同書はいう。

そういう視点をもって、学生のときにもっと古典を読めばよかった。いまさらながらそう思う。

香炉峰の雪いかならん」のどこがおもしろいのか、わからなかった高校時代。同感される方も多いのでは。

さて、読書の秋。

世界中が武力で覇権を争うこんな時代だからこそ、『枕草子』などの古典を手に取るのも―いいかもしれませんね。

「日入りはてて、風の音、むしのねなど、はた、いうべきにあらず」

 

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人を救うのは―『アキラとあきら』を観て

銀行が舞台というのに興味を惹かれ、映画『アキラとあきら』を観た。

この混迷の時代に銀行はどこへ行くのか、気になったからかもしれない。

「銀行は社会の縮図」

映画のセリフを借りれば「銀行は社会の縮図」。銀行なくして経済も社会も成り立たない。

メガバンクの「産業中央銀行」に同期入社したアキラ(瑛)とあきら(彬)。東大卒で新人研修でも傑出した能力を見せつけた2人だが、その後、自分の信念を貫き最後まで融資先を支えようとするアキラは左遷され、地方の支店に飛ばされる。一方のあきらは大きな融資を成功させ、順調にキャリアを積んでいく。

父親の経営する町工場が倒産し辛い幼少期を過ごしたアキラと、大手企業の東海郵船グループの御曹司として生まれたあきら。

そんな対象的な境遇の2人は、すでに子どものときに一度出会っていた。

やがて、左遷にめげることなく「人を救う」バンカーを志すアキラは、次々と融資の稟議を通して本店に返り咲く。一方、順風満帆かと思われたあきらは、父の死後、身内の権力争いに巻き込まれ、銀行を辞め、社長となって亡き父の東海郵船グループを立て直そうとする。

身勝手な叔父たちの関連企業の経営不振が招いた企業破綻の危機。あきらの苦境に、アキラがトップバンカーへのキャリアステップの道をなげうち、2人で破綻回避の道を探る。

そう、宿命にあらがって生きる2人の出会いは、運命だったのだ。

ラストの奇跡の大逆転は映画を見ていただくとして、メッセージとして伝わったのは「人を救うのは結局、人なのだ」ということ。

「宿命」「運命」「人生の舵」…。いろんなキーワードがこの映画には込められているが、「乗り越えられない宿命はない」というアキラの言葉は、誰もがそうありたい、そう信じたいと思っていることだろう。

実際は、なかなか努力だけでは道は開けず、人に裏切られることもある、けれど…。

「いい稟議だった」

主演以外で、個人的に印象に残ったのは、江口洋介演じるアキラの上司、不動。「確実性」のない企業には一切融資をしない主義。登場早々、机にすわってトーン、トーンとハンコを押すしぐさで、いやな上司が出てきたなと思ったのだが、最後はアキラの起死回生の稟議書にハンコを押す。

頭取に呼ばれたアキラは、そこで初めて不動が承認し、稟議書を役員会にまわしていたことを知る。

もちろんそれは「確実性」があったと不動が判断したこともあるだろうが、アキラの信念、情熱があったればこそハンコを押したのだろう。

「いい稟議だった」

そうアキラに声を掛けて、立ち去る不動もかっこいい。

舞台となった「産業中央銀行」が、いまどき信じられないくらい職場に一体感があるのも意外。エリートを見る周りの目もなんとなく温かい。不動のセリフにもあったが、行員一人ひとりの努力で銀行が成り立っているという思いが、それとなく伝わる職場の雰囲気なのだ。

そう、これはまさに昭和の青春ドラマにも通じる。たぶん、これは原作の池井戸潤氏が昭和世代だからでもあるのではないか(勝手な推測です)。

ちなみに、アキラは父の開発した小さなベアリングを肌身離さず身につけている。くじけそうになるとき、いつもそれを取り出し、これではいけないと奮い立つ。

2人の最初の出会いも、ラストのシーンも、このベアリングが象徴的に使われている。

久々に熱く血を通わせたい人にオススメの映画だ。

――・――

ここからはまったくの余談だが、防衛関連、しかも低位株で手を出しやすいということもあって、極小口投資家の私はベアリング大手のNTNの株をちょっと買ってみた。

同社のホームページを見ると、「ベアリング技術をコアに『なめらかな社会』の実現へ」なんてことが謳われている。

映画に使われたベアリングにも、何らかの暗喩が込められているのだろう。

同社では従業員が先生となって、NTNの主力商品であるベアリングなどについて授業を行うイベントもやっているという。

なかなか味なことをする。

映画ともども、もしかしたら同社の株もヒットする―かもしれない。

これは映画やNTNとはまったく関係ございません



どうなる優待

「どうする家康」

ふーん、来年の大河ドラマは泰平の世を開いた徳川家康か。

こんな時代に、いかにも日本的な庄屋仕立ての幕藩体制を築いた徳川家康を主人公にしてる場合かな。

家康のおかげで既得権益を守るムラ社会が今も続いている(勝手な憶測です)。

大河はさておき、個人投資家株主優待の行方が気にかかる。

JTオリックスに続き、次の大型の優待廃止はどこか。

配当だけなら資金力のある大口投資が圧倒的に有利。でも、優待なら小口投資が有利なところも多いだけに、優待の楽しみが減っていくのは正直悲しい。

たしかに株主への公平な利益還元という観点からすると、問題のある優待もあるが、企業の販促や宣伝効果にもなる優待はできるだけ残してほしいところ。

今月8日の日経新聞夕刊「なるほど! ルーツ調査隊」では、株主優待を取り上げていた。確証はないものの、日本の優待は山陽鉄道東武鉄道という鉄道会社から始まった可能性があるそうだ。記事に引用されている野村インベスター・リレーションズによると、優待の導入企業数は2022年6月末時点で1491社、直近30年で約6倍に増え、上場企業の35%を占めるという。

とはいえ、優待廃止が世の流れなら、今後、個人投資家は優待目当ての投資はやめ、もしほしいなら優待を継続してくれる企業を見極めて投資していくしかなさそうだ。

とりあえず基本、極小口100株投資家の私は、近鉄の優待の招待乗車券を使って、長きにわたるコロナ禍の精神的疲れを鉄道旅行で癒やそうと思う。

近鉄は100株持ってたら招待乗車券4枚が年2回もらえる。大阪難波―名古屋間は乗車料金2410円だから、合計8枚だと19280円也(あくまで最長で使った場合)。2022年3月期は配当2500円だったから、併せると利回り4.7%程度という計算になる。乗らないなら招待乗車券は金券ショップでも売れるし(安いけど)。

使うならできるだけ長距離で!

近鉄には、ちょっと贅沢に旅行するのにちょうどいい「ひのとり」「しまかぜ」などの特急列車もある。

ちなみに、こちらは沿線に住みながら「ひのとり」乗るの、今回が初めて。

―いずれにしても、優待が生活を豊かにしてくれるのは間違いないですね。

オリックスの優待で届いた日本酒
もらえるのは、あと2回か…

 

 

 

 

 

 

「光と影」に魅せられて

「光の画家」とも言われるフェルメールの絵画展を観てきた。

以前にも「天文学者」などの作品が観たくて、美術館に足を運んだことがあるが、やはり、たまには本物を観ないと、ネットや本だとサイズ感が分からない。色の濃淡や明暗の印象も、実際とは違う気がする。

観たかったのは目玉の「窓辺で手紙を読む女」。

絵の中には、修復後にあらわれたキューピットの画中画を含め、いろんな画家の暗喩が隠されているのだろうが、そういうのは専門家にまかせるとして、ただただ印象的なのは、オランダ絵画の黄金期を代表するレンブラントと同様、「光と影」のコントラストだろうか。

現代では、風車とチューリップで有名なヨーロッパの小国というイメージしかないが、17世紀当時、オランダは商業・金融・海運で世界の覇権を握っていた。

「物事を組織的にやるという、こんにちの巨大ビジネスのやり方をあみだしたのは十七世紀のオランダであり、十八世紀はじめの英国は、それをいわばまねたにすぎないとさえいえそうである。」
『オランダ紀行』(司馬遼太郎著)より

その絶頂期にあるオランダ絵画が描くのは、英雄や戦争ではなく、市民のなにげない日常生活やありふれた風景なのである。

「デルフトの眺望」もそんな作品の一つだ。

とはいえ活発な経済活動は、民衆をも巻き込んで投機心をあおり、あの有名な「チューリップ・バブル」を招いた。

最終的に大暴落し、多くの破産者を出したという17世紀のこの大騒動。

「見栄を張らない」「地味」「勘定高い」などの気質があると言われるオランダ人でさえこうなのだから、いったん高まった投機熱というのは狂うところまでいってしまうのかもしれない。

スペインから独立して黄金時代を迎えた17世紀のオランダだが、独立戦争は長期化し、現実には平和が訪れる機会は少なかった。市民の生活も決して平穏のままではなかったはずだ。

フェルメールの絵に惹かれるのは、そうした現身の光と影を感じるからかもしれない。

幸福な一瞬に潜む闇。

現代に話を戻すと、なんか、わけのわからないことになってきた今の株式相場。まだまだ投機熱がこもっているが、そのうちぽっかりと闇に出くわさないか―。

なにごとも悲観的な素人は、しばらく傍観しておくことにする。

 

 

 

 

「もはや昭和ではない」…けれど

家族とはなんだろう。

先日、長谷川町子記念館を訪れたこともあって、なんとなく考えてみた。

東京都世田谷区の長谷川町子記念館(このフロアは撮影可)

 

サザエさん」で描かれた3世代同居の家族はある意味、昭和では「理想の姿」。いつも、なごやかでほのぼの。けんかをしてもすぐ仲直り。みんなでちゃぶ台を囲み、テレビを見ることもなく、談笑しながら仲良く食事をする―そんな一家の情景に多くの人が癒やされてきたからこそ、いまも続く国民的アニメになったのだろう。

4コマ漫画「サザエさん」が新聞に連載されたのは1946~74年(昭和49年)。実際には、都市化や高度経済成長で、平均世帯人員は徐々に減少し、核家族化が進行。やがて核家族化がピークを迎えると、今度は一人暮らし世帯である単身世帯(単独世帯)がどんどん増えている。

高齢者(65歳以上)の視点で見るとこんな感じだ。

2019年「国民生活基礎調査」の資料より

「ひとりぼっち」世帯がどんどん増えている。

家族像の変遷で、直近の「男女共同参画白書」が示しているように、「もはや昭和ではない」ということだろう。

昭和の時代、多く見られたサラリーマンの夫と専業主婦の妻と子供、または高齢の両親と同居している夫婦と子供という3世代同居は減少し、一人ひとりの人生も長い歳月の中でさまざまな姿をたどっている。

と指摘し、「こうした変化・多様化に対応した制度設計や政策が求められている」と白書は言うのだが、非婚化、晩婚化、少子化の流れは止まりそうもない。

調査では、20代の女性の約5割、男性の約7割が「配偶者、恋人はいない(未婚)」と回答したという。

結婚しなくても、ひとりでも、それなりに幸せ―。そんなふうに、幸福感が変わってきていることもあるのだろう。

少子化はとめようがない―。特効薬がないだけに無策を政治家のせいにするわけにもいかず、結局、そう思ってしまう。

子供に対する親のあり方も変わっている。

サザエさんの時代は夫はサラリーマン、妻は専業主婦が当たり前だったが、いまや共働きは当たり前。企業によっては夫も育休が取れるようになった。

それが普通の時代なのかもしれないが、私は妻は専業主婦でいいと思った。

いい悪いではない。ただなんのための母性なのかと思うだけだ。

単に、おむつを変える、ミルクをあげる、お遊びをする、ということではない。その行為のひとつひとつ、そのときの子どものしぐさや反応、そうしたひとつひとつに、母と子どもの心の交流があると感じるからだ。

それは子と母だけの世界。父や他人では代用できない。

それがどれだけ、かけがえのないことか。

私も時間のある限り、娘と遊んだ。

私の娘はなかなか寝ない子どもだったので、仕事を終えて帰ってきたときは、夜のお散歩が日課だった。

よちよち歩きの娘は嬉々としてついてきた。

それは父親にとって、本当にかけがえのない時間だった(大人になった娘の記憶にはおそらくないだろうが)。

いま思えば、遊んでもらって幸せをもらったのは私のほうなのだろう。

―――

個人的なことは置いといて、世相はどんどん殺伐としている。

「親ガチャ」はその最たるものだと思う。

要は自分の不幸を、人のせい、親のせい―にするということ。

まあそういう境遇もたしかにあるとは思うが、人を恨んでも憎しみが増すだけ。

親ガチャによる不幸を考えると、安倍晋三元首相を襲撃した容疑者にも当てはまるかもしれない。

でも

もしかしたら、彼は、自分で切り拓く世界を描けたかもしれない。

比較するわけではないが、今、メディアによく登場する米エール大助教授の成田悠輔さんも親ガチャという観点からみると、すごい人生を送ってきたことを知った。

先日の日経新聞のインタビュー記事によると、高校3年の時、お父さんは借金を残して蒸発し、それ以来会っていないという。

そんなことをものともせず東大を卒業、そしていまやメディアがほっておかない時の人。

「親ガチャ」なんか、くそくらえ。

彼はそれを平然と証明している。

まったく、すごい、としか言いようがない。

昭和の時のように、個として、人生を切り開いている日本人は令和にもたくさんいるのだ。

ただ、国として考えた場合、債務大国日本の未来はひらすら暗い。

人口的には、これがこの国の姿。

国土審議会政策部会長期展望委員会の「国土の長期展望」中間とりまとめ資料より抜粋
イーロン・マスク氏がいずれ日本消滅と言ったのもわかりますね

正直、泣けてくるような未来。

もう人口減は避けられない。

そして安倍氏なき今、金融緩和の「アベノミクス」もおそらく限界。

さて、選挙で「黄金の3年」を得た岸田政権。

「もはや昭和ではない」中で、どう改革する?

既得権益そのままの政策を続けたら、もう、未来はない。

それを「国ガチャ」のせいにするのは御免だ。